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東京地方裁判所 昭和34年(合わ)8号 判決

被告人 小林喬美

昭一二・四・一八生 無職

次子こと林ツギ子

昭一二・九・二四生 無職

主文

被告人小林喬美を死刑に処する。

被告人林ツギ子を懲役十二年に処する。

被告人林ツギ子に対し未決勾留日数中五十日を右本刑に算入する。

押収してある狩猟用ナイフ一挺(昭和三四年証第一五二号の一)及び革製サツク一個(同証号の八)は被告人ら両名につきいずれもこれを没収する。

訴訟費用中、証人岡崎ナツヱ、同岡根だい子、同浅野千代、同浅井善蔵及び証人谷口正男に各支給した分は、いずれも全部被告人林ツギ子の単独負担とする。

理由

(事実)

一、被告人ら両名の経歴

被告人小林喬美は、生後間もなく母と生別し、次いで十一才の頃には父喬文とも死別したので、その後しばらくは祖母ノブの手で養われ、ノブが死亡してからは横浜市港北区三保町の伯母(父の実姉)原田秀子に養育されていたが、被告人の中学校在学中にこの伯母も、また、病死してしまつた。そこで被告人は、右秀子の夫である原田三作の配慮で中学校を卒業後一時工員として働いていたが永続きせず、間もなく右原田三作方を出奔して、その後は横浜市内のキヤバレー、バーなどをボーイやバーテンダーとして転転したあげく昭和三十三年九月二十日頃から横浜市中区野毛町所在のスタンドバー「現代人」にバーテンダーとして勤めるようになつたが、他方その間昭和三十二年八月三十日当時同じく横浜市内のバーで女給勤めをしていた塩島孝子と正式に結婚して間もなく長男洋一をもうけ、右孝子の実姉塩島静子方に同居してしばらく日をすごしているうち、翌昭和三十三年二月頃から麻雀遊びなどに耽つて家庭を顧みず、そのうえ外泊さえもするようになつたため、孝子との間に不和をかもし、いさかいをかさねた結果、遂に同年七、八月頃孝子の留守中に目ぼしい家具類を売り払つてそのまま行方をくらまし、爾来音信を断つていたもの、

被告人林ツギ子は、横浜市中区北方町で清掃人夫をしていた父林政一郎と母同サツイの二女として生まれ、両親に養育されて、成長したが、港中学校第二学年在学当時姉政枝の知人であつたフイリッピン人ゼツシー・ナパリスなる者に犯されて妊娠したため、やむなく同校を中途退学し、その後しばらく右ナパリスと同棲して男子フランケをもうけたものの、昭和三十三年四月頃右ナパリスが帰国すると称して日本を立ち去つてからは音信もないので、自ら生活の資を得るため、横浜市内のホテルやバーなどを女給として転転し、その間勤務先で知り合つたバーテンダー佐賀某と一時同棲したこともあつたが、その後同年九月二十五日頃から前記スタンドバー「現代人」で女給勤めをしていたもので、

被告人ら両名は、たまたまその勤め先である右スタンドバー「現代人」で働いていた際知り合い、その後同年十月末頃から情交関係を結んで横浜市内のホテルなどを泊りあるいていたあげく、やがて同年十一月下旬頃以来横浜市中区本郷町二丁目五十八番地なる被告人林方実家の隣りに一戸を借り受け同棲生活を始めたが、被告人小林は、当時既に前記スタンドバー「現代人」をやめており、被告人林も、また、同年十二月十九日頃には女給商売をやめてしまい、その後はいずれも定職なく、徒食の生活を送つていたものである。

二、罪となるべき事実

第一、被告人林は、当時横浜市内のバー「ゴンドラ」に勤めていた同僚の女給末木久子を通じて同女の兄末木武利と知り合いになつたが、たまたま昭和三十三年十月末頃横浜市中区本牧町二丁目四百二十二番地なる右武利方で同人から手提金庫に入つている多額の五千円札を見せられ、同人が大金を貯えていることを知るに至つたので、その後、前記のように、被告人小林と共に横浜市内のホテルなどを泊りあるいていた当時、所持金に窮していた同被告人から「何かよい金儲けの仕事はないか」などと言われて相談をもちかけられた際、右末木が大金を持つていることをこれに話したところ、被告人小林が「末木の金を盗み出そう」と言い出すや被告人林も、また、即座にこれに同調し、前記末木方への道順や屋内の模様などを被告人小林に知らせるなどして、ここに両名共謀のうえ、同年十一月二十六日頃の午後五時頃被告人小林が単身前記末木武利方に赴き、家人の不在に乗じて、同家四畳半の間の押入内にあつた同人所有の現金二十万五千円並びに真珠ネックレス一個、壜入り香水一個、イヤリング二個、腕輪一個及びブリキ製飴罐一個在中の中古手提金庫一個(以上物品の時価合計約一万七千円相当)を窃取し、

第二、被告人林は、かねて祖母などから自己の伯母(母の実姉)である浅井キミ(当五十三年)が、夫浅井善蔵との二人暮しで、都内江戸川区平井三丁目八百三番地の自宅押入の床下に現金を蜜柑箱に一杯詰めて貯えているとの話を聞いていたので、その後、前記のように、被告人小林とともども横浜市内のホテルなどを泊りあるいていた当時、同被告人から「何かよい金儲けの仕事はないか」と言はれた際に前記末木の件のほかに、なおこの話しもいつしよに打ち明けておいたところ、現金が蜜柑箱に一杯詰めてあるなら三百万円ぐらいはあるものと想像した被告人小林は、さつそく被告人林をさそつてこの現金を手に入れる相談を始め、まず同年十二月二十一日頃被告人ら両名は、相携えて右キミ方居宅の下見に赴き、その位置及び道筋などを確めたうえ同月二十四日早朝に至りいよいよ当日決行することとし、その方法として、昼間ひとりで留守居中の右キミを訪ね、同女に睡眠薬入りの飲料を飲ませ昏酔させて現金を奪うか、又はそれが意の如くならない場合には被告人林がキミをさそつて映画見物に連れ出し、その隙に被告人小林が目指す現金を盗み出すことにするなど相互の間に一応の手筈をとりきめたうえ、同日午前十時頃被告人林が、被告人小林の指示によつて自宅附近の酒屋からミツシヨンコーラ三本を、また、同じく近所の薬局から睡眠薬パラミン二錠を粉末にしたものをそれぞれ買い求めて来て、右ミツシヨンコーラの一本はこれを前記フランケに与えて飲ませ、残る二本のうち一本の栓をはずして被告人小林が右パラミン錠の粉末ほとんど全部をこれに投入して箸でかきまぜ、もとどおり瓶の栓をした後、被告人林とこもごもその瓶を振蕩してこん濁を目立たぬようにしたが、その後更に被告人小林は、被告人林に命じて他の薬局から同じく睡眠薬ブロバリン百錠入り一箱分を粉末にしたものを追加購入させるとともに、他方また、もしキミがミツシヨンコーラのような飲料を好まない場合の用意として、別に自らバヤリースオレンジジユース一本を附近の酒屋で買い求めたうえ、なお、指紋を残さないようにするため手袋までを購入準備したが、更にこれのみにとどまらずして被告人小林は前夜横浜市内の店舗で買い求めておいた刃渡り約十二・五センチメートルの狩猟用ナイフ一挺(革サツク付)(昭和三四年証第一五二号の一及び八)をひそかに自宅内洋服ダンスの抽斗中から取り出して自己の上衣ポケツト内に忍ばせ計画に齟齬を来たした万一の場合に備える等用意万端を整えたあげく、同日午前十一時頃被告人ら両名は、相携えて国電桜木町駅から乗車し、前記キミ方に赴く途中秋葉原駅で下車し、附近の食堂で昼食した際、被告人小林が持参の右オレンジジユース中に前記所携のブロバリン錠粉末全量の約三分の一ぐらいを混入し、もとどおり栓をしたうえ、他の飲料と共にこれを用意して来たスーツケースに入れて携行し(前同証号の2は、右飲料の在中していた空瓶三個)、かくて同日正午すぎ頃国電平井駅に下車した被告人らは、普通の訪問客の如く装わんがため途中手みやげなどを買い整え、なお、被告人小林は、同じく附近の店で買い求めたマスクをかけて、同日午後一時頃両名相連れだつて目指す前記浅井キミ方を訪れたところ、折から在宅していた同女が思いがけない姪夫婦の来訪を喜び、直ちに被告人らを同家三畳の間に招じ入れて天婦羅うどんを馳走するなどして歓待し、また、被告人林を相手に昔の思い出話などを始めたので、機を見て被告人ら両名は持参した前記睡眠薬入りのミツシヨンコーラやオレンジジユースをコツプに注いでこもごもキミに飲用を勧めたが、同女が「胃が悪いから」などといつて全然飲もうともしないので、予定のとおり、次にはキミを映画見物に連れ出そうとして、両名気脈を合わせ勧誘につとめてはみたものの、キミがこれにも応じようとしないため、当初の計画に齟齬を来たしたので、これに焦慮のあまり、前記コーラの空瓶でキミの頭部を殴打して同女を気絶させ、その隙に所在の現金を奪い取ろうと考えた被告人小林は、ひそかにこの意を被告人林に通じその同意を求めたところ、同被告人がこれを聞き入れようともしないので、やむなくいつたん外出してポケツト用ウイスキー一本を買い求めて右キミ方に持ち帰り、これを飲みながらひそかに機会を窺つているうち、たまたまキミが夕食の準備のため買物に出かけると言いだしたので、これを聞いた被告人ら両名は、思わぬ好機到来と考え、さつそく被告人小林が、「きようはクリスマスだからいつしよに行つて何か買つてあげなさい」などと言葉巧に装つて被告人林にキミを同行するよう申し勧めるや、被告人林も、また、その意を諒して事情を知らない伯母キミを促し、間もなく同女を戸外に連れ出して行つたので、被告人小林はその隙に乗じて隣室六畳の間の押入内を物色し、その床板の一部を剥ぎ取るなどしてしきりに現金の探索に努めたが、何も見当らないうちに早くも被告人林が立ち戻り、次いで間もなくキミもまた買物先から帰つて来てしまつたので、被告人小林もやむなくいつたん前記三畳の間の炬燵の傍らに身を引き、なにげない態を装つてはいたものの、かさなる不首尾に内心焦慮していた折から、たまたま夕食の準備のため座を立つて前記六畳の間の押入内から飯米を出そうとした右キミが、一瞬被告人小林の顔を鋭く凝視し仔細ありげな素振りを示すや、早くも押入内の物色の跡を同女に感付かれたものと思い込んだ被告人小林は、事態かくなるうえはこの際一挙に右キミを殺害して目指す現金を強奪するにしかずとその意を決し、ひそかに前記所携の狩猟用ナイフ一挺を上衣のポケツト内から取り出し、これを傍らにすわつていた被告人林に示すとともに、他方、また、自己が持ち合わせていた手帳(前同証号の4)に、「俺はおばさんをやる」と鉛筆で走り書をした紙片をさいてこれを同被告人に手渡すなどして、自己の前記決意のほどを打ち明けるとともに暗に被告人林の協力方を求めたところ、被告人小林の右意向を察知した被告人林が首を横に振つてこれを拒否する態度を示したにも拘らず、その後、更に右キミが台所に立つた隙を窺いかさねて同被告人に対し、「このままでは帰れない、どうしてもやつてしまう」などと強く言い張つて譲らないため、被告人林においても被告人小林のこの執拗な態度に接して、もはやとうてい飜意させることは不可能であると思いあきらめるとともに、他面、自己も、また、金欲しさの念慮に駆られるのあまり結局、同被告人の右申出を受け入れることにはなつたものの、それでもなお自己の伯母が眼前で殺されるのを見るに忍びない気持から、「ちよつと使いに行くからその間にやつてくれ、すぐ帰るから」などと言葉を構えて暫時その場をはずそうとしたが、その気配を知つた被告人小林から、更に、「ひとりでは心細いからそばにいてくれ」などとひたむきに頼まれるに及んで遂にこれを承諾し、ここに被告人ら両名は前記浅井キミを殺害して所蔵の金員を強奪すべく意思相通じ共謀のうえ、同日午後四時前頃被告人小林がなにげない態を装つて同家台所に続く便所内に立ち入り、手袋を着用するなどして身仕度くを整えたうえ、前記狩猟用ナイフを抜身のまま右手に持つて立ち現われ、折から前記三畳の間の炬燵に入つていたキミの背後に迫つたが、気おくれのため決行できず、そのままいつたん炬燵のそばの元の座席に戻つたが、間もなく気をとり直して再度便所に赴いたあげく、キミの背後に近づいて「おばさん」と声をかけ、同女がこれに応じてなにげなく後ろを振り向こうとするや、やにわに右狩猟用ナイフを以て同女の前頸部めがけて一回突き刺し、かつ、不意の襲撃に驚愕して救いを求める同女の口を左手で押えたりなどしたうえ、さらにその頸部を続いて突き刺し、仰向けに顛倒してもがき苦しむキミの右側から馬乗りとなつて、「まだこんちくしようぴくぴくしている」などと口汚く罵りながら、前記ナイフをふるつて、なおも素手のまま必死に防ぎ止めようとするほかなすすべもないキミの胸部めがけて連続十数回に亘つて強く突き刺し、なお、その間被告人林は右の如くキミが救いを求めて悲鳴を揚げるや被告人小林から指示されるがままに、同家玄関出入口及び表側窓の各硝子戸に鍵をかけ、又は、隣室六畳の間のラジオのスイツチを入れるなどして右騒ぎが近隣の者に気づかれないように臨機の措置を講じて被告人小林の右犯行に協力し、よつて間もなくキミをして頸部(左総頸動脈切断)並びに胸部(心貫通)刺創に基く失血のためその場において死亡するに至らしめて各その殺害の目的を遂げたうえ、被告人ら両名は、なおも右屋内に留まり、前記六畳の間押入内等を物色して目指す現金の探索に必死となつて立ち騒いでいるうち、たまたま玄関先に人声がしたため、犯行の発覚をおそれて、物色を取りやめ、金員強取の目的を遂げずしてその場を逃走し

たものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(被告人林の弁護人の主張に対する判断)

被告人林の弁護人は、本件強盗殺人の犯行につき、被告人林は未だ官に発覚せざる前自首したものである旨主張するから、一応この点について判断すると、なるほど証人林政枝、同谷口正男及び被告人林本人の当公判廷における各供述によると、被告人林が右犯行の当日たる昭和三十三年十二月二十四日午後六時三十分頃家人を介して所轄横浜市山手警察署勤務の司法巡査谷口正男を横浜市中区本郷町二丁目五十八番地の被告人林の実家に呼び寄せ、同人とともに右所轄警察署に任意出頭したことは認められるが、当裁判所の証人浅井善蔵の証人尋問調書によれば、当日午後七時前後頃同人がその勤め先から帰宅したときは、被害者浅井キミの死体はもち論既に取りかたづけられてあつて、しかも、被告人林がその犯人容疑者の一人であることは当時早くも所轄小松川警察署に判明していたことが窺われるから被告人林が山手警察署に任意出頭した当時、果して本件強盗殺人の所犯が未だ官に発覚していなかつたものといえるかどうかは相当疑わしいところであるのみならず(因に、司法警察員巡査部長田中新十郎ほか一名共同作成の緊急逮捕手続書によると、当日、被告人林が山手警察署に出頭したのは午後八時頃ということになつている)、仮に当時右所犯が官に発覚する前であつたとしても、右緊急逮捕手続書並びに前記証人谷口正男の供述によると、被告人林は、当初右谷口巡査及びその他の係官に対し本件強盗殺人事件の経緯顛末をありのままに述べたというわけではなくて、ただ単に、当日、内縁の夫小林といつしよに小林が依頼しておいた就職のことで伯母のところを訪ねて雑談中自分が六畳間に行つている間に小林が伯母を殺してしまつたということを述べているだけのことであるから、(現に、被告人林は、被疑者としてではなく右事件の重要参考人として所轄署に同行されているのである)これでは自己の犯罪事実を官に申告したということにはならず、従つて、たとえ、その後において捜査官の推問の結果、被告人林が自己の犯罪事実を認めるに至つたとはいえ、かかる場合は刑法第四十二条第一項にいわゆる自首があつたものとは認められないから弁護人の右主張は、これを採用することができない。

(法律の適用)

被告人ら両名の判示所為中、窃盗の点は各刑法第二百三十五条、第六十条に、強盗殺人の点は、各同法第二百四十条後段、第六十条にそれぞれ該当し、以上は、いずれも同法第四十五条前段の併合罪であるので、ここに右両名の刑責いかんについて考えてみると、被告人小林喬美が、生来不遇な生活環境のうちにあつてともかくも世の荒波を凌いで来たことや、同被告人が、今日なお二十二才に満たない(二十一才十一ヵ月余)青年であることは、洵に同情すべき点であり、また、本件強盗殺人の如き大罪を犯すに至つた動機も比較的単純幼稚なものと考えられるうえに、金員強取のためには被害者浅井キミを殺害するも憚らずとの決意が頭初より存在していたものとも断定し難く、むしろ、判示認定の如く右ミキ殺害の意図は、事態の推移変遷につれて逐次醸成発露されるに至つたものと推認するのほかなきものというべく、しかも、同被告人は、酒の勢いを借りながらも、いよいよ決行の間ぎわにおいていつたんは躊躇の色を示して元の座に戻る等内心やや動揺の兆が見えないこともなかつた点や、また、金員強取の目的は結局これをとげるに至らなかつたことなど、同被告人の有利のために看過すべからざるふしぶしも決して絶無ではないけれども、飜つて考えると、被告人小林は昭和二十九年十一月八日強姦未遂のかどによつて横浜家庭裁判所で保護観察の処分に付せられた後、間もなく、それまで世話になつていた伯父原田三作方を出奔して横浜市内のキヤバレー、バーなどをボーイやバーテンダーとして転転していたが、なおも、素行修らず、妻子と別居して被告人林ツギ子との同棲生活を始め、あまつさえ、昭和三十三年十一月十三日頃からは無為徒食の生活になづんで全く勤労の意欲を失い、そのあげく、判示のとおり、被告人林と共謀して末木武利方から多額の金品を窃取したのであるが、その後もいささかの反省の跡なく、依然ふまじめな生活態度を続けていたため、またもや金欲しさの念に駆られて、ついに本件強盗殺人の大罪を犯すに至つたのであるが、しかも、被告人小林は、その犯行に先立ち、判示のとおり、予め浅井方の周辺を下見に行つたり、また、キミに飲ませるための睡眠薬入りのジエース類や指紋かくしの手袋ないし覆面用のマスクなどを用意したうえに、さらに、何故か、前夜買い求めておいた刃渡り十二・五センチメートルに及ぶ鋭利な狩猟用ナイフまでもわざわざポケツト内に忍ばせて行くなど年少者に似合わぬ綿密な手筈を整えているのみならず、被害者キミが思わぬ身寄りの者の来訪を喜び、さつそく天婦羅うどんを取り寄せてこれを被告人ら両名にすすめ、あるいは被告人林を相手に昔の思い出話しにうち興じるなどして全く被告人らを信頼し、いささかも疑念を抱く気配もないのに乗じて、判示のとおり、執拗に金員奪取の機会を窺い、そのあげく、単に右キミが被告人小林の物色の跡を気付いたらしい素振りを示したというだけのことで、格別大声を揚げて騒ぎだすとか、あるいは被告人らを取り押さえようとかする挙動は、すこしも示していないにもかかわらず、いかに焦慮の余りとはいえ、また、たとえ、幾分酒の酔があつたからといつて、無謀にもキミ殺害の決意をかため、いやがる被告人林を強引に説き伏せ、ついに判示のとおり、なにも気付かずに炬燵にあたつていたキミの背後から襲いかかり、しかも、判示のような聞くに堪えぬ暴言を弄しながら被告人林の面前においてその肉親の伯母である瀕死のキミの上に馬乗りとなり、同人の胸部を連続十数回にわたつて前記狩猟用ナイフをもつて突き刺し、即死させたうえに、なおも被告人林と共に室内を物色して現金の探索に努めている始末であつて、右所業たるや実に残虐目を蔽わしめるものというのほかなく、とうていこれを年少者の一時の出来心とのみ考えるわけにはいかない。しこうして、また、被告人小林は、右犯行後、前記ジユース類の空瓶や狩猟用ナイフ等を都内中央区銀座界隈のデパート内にある公衆便所に隠匿して帰宅後、被告人林から「いつしよに家にいてくれ」とせがまれたのにこれを聞き入れず、しいて同被告人の母親から現金千円を借り受けたうえ、本妻孝子の勤務先である横浜市内の酒場に赴いて酒をあおり、酔の力で良心のかしやくをまぎらわせようとしているが、これらの点も犯罪後の情況として好ましからぬ振舞いと見られてやむを得ない。事情かくの如きを彼此総合勘案すれば、よしや現在被告人小林に若干改悟の色ありとはいえ、その犯情きわめて悪質にして情状酌量の余地乏しきものといわざるを得ない。次に、被告人林ツギ子も、被告人小林に妻子のあることを承知のうえでこれと同棲生活を続けるなどその生活態度に真剣味を欠き、本件各所犯についてもむしろ被告人林の側からその具体的な話をもち出し、これによつて被告人小林の悪心を唆つたものともいえるのであるし、その結果、遂に肉身の伯母キミをして非業の最後をとげさせるに至つたその罪責は、決して軽からざるものといわなければならない。しかしながら、すくなくとも右キミ殺害の点に関する限り被告人林の態度は判示のとおり終始消極的であつて、むしろいちずに逸らんとする被告人小林を制してその犯行を思いとまらせようと努めたことや、また、犯行後良心のかしやくに堪えかねて自ら警察の係官に対し被告人小林の犯行の一部を申告して本件捜査に重要な手がかりを与えた(但し、この点が刑法上の自首に該当するものと認められないことは、既に述べたとおりである)ことなどが認められるので、これらの点や被告人林の経歴、境遇、年令等の点を考え合わせるときは、同被告人については相当情状酌量の余地ありといわなければならない。

よつて以上諸般の情状に鑑み、被告人小林喬美については、強盗殺人の罪につき所定刑中死刑を選択処断するのを相当と認めるから、刑法第四十六条第一項本文により他の刑を科せず、被告人小林を死刑に処し、被告人林ツギ子については、強盗殺人の罪につき所定刑中無期懲役刑を選択処断するのを相当と認めるので、同法第四十六条第二項本文により他の刑を科さないが、同被告人については、犯罪の情状憫諒すべきものがあるので、同法第六十六条、第七十一条第六十八条第二号にりり酌量減軽を施した刑期範囲内において被告人林を懲役十二年に処し、同法第二十一条に則り未決勾留日数中五十日を右本刑に算入し、押収してある狩猟用ナイフ一挺(昭和三四年証第一五二号の一)は、判示強盗殺人の犯行の用に供した物(革サツク一個((同証号の8))は、その従物)で、被告人ら以外の者に属しないから同法第十九条第一項第二号、第二項本文に則り被告人ら両名につきこれを没収し、訴訟費用については刑事訴訟法第百八十一条第一項本文を適用して主文末項掲記のとおり、被告人林についてその負担を定めるが、被告人小林については貧困のためこれを納付することのできないことが明らかであるから、同法第百八十一条第一項但書を適用して全部同被告人には負担させないこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 樋口勝 柳瀬隆次 立原彦昭)

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